骨と共に動く

昨日、ご紹介で初めて身体調律スタジオUにお越しになったカラダさま。
来週末にフルマラソンを控えているカラダさま。

 だが、随分前から踵の痛みがあり、それがなかなか改善することなくここまできてしまっているとのこと。

 ここ最近、時期も時期だけにマラソンランナーの方のセッションが続いている。

 そして、その大半の方が ご自身のカラダに起きている問題の理由・原因を考える上で、筋肉にしか意識が向いていない方がほとんどだ。
ご自身の身体の動きというものを、すべて筋肉だけで捉えてしまっている。
そこに、骨への意識は無い。

 もちろん、転倒などの外傷があるわけではないので骨に意識が向くことは無い。

ほとんどの場合、骨に意識が向くのは骨折をした時ぐらいであろう。

 そういう意味では、
骨という存在は、失ってから初めて気がつく存在なのかもしれないのですが。

 さて、その今回のカラダさま。
御年66歳の男性の方でしたが 踵の痛みがあるにも関わらず、先週にも横浜マラソンも完走しており、 それでいて来週に岡山マラソンもエントリーしているという、 まあ、それだけ丈夫なカラダさまなのは間違いない。

 セッションを始めるにあたり、その方に足の骨の模型を見てもらう。
 そして、ご自身の足の指の骨がどの位置まで存在しているのかを認識してもらう。

 『えー!足指の骨は、こんな位置まであるんですか!?』

 少なくともその方の意識の中では、

≪自分の足指の骨がどこまで在るのか≫ 

というのは意識は無かった。

 そうなんです。思っている以上に骨は在るのです。

 そして、存在する以上、そこには意味と役割があるもの。

 骨のお役目のひとつに、

 【自分の重さ(体重)を、地面・大地に伝える】 というお役目があります。

 逆を言えば、自分の重さを支える仕事を筋肉にさせてはダメなのです。
 シンプルに言ってしまえば、この踵の痛みを感じていたこの方は、 自分の足首周辺の筋肉に対して、
 
・自分の重さを支える仕事

 と、

 ・自分の重さを移動させる仕事

 この相反する別の作業を、両方させ続けていたことになるのです。

 本来、させるべきではない仕事をだ。

 そしてもうひとつ、大切な骨の概念が

 【骨の存在が無いと、筋肉は休まらない】

 というもの。

 ヒトが、安心して休まれる場所が無いと休まれないのと同じ図式で、 筋肉にとっても骨という存在は、安心して休むための存在になるのだ。

 骨への意識なく、走り続けてきたこのカラダは、
ある意味で休まれない環境の中 しかも本来するべきではない仕事までもさせ続けられてきたカラダでもあるということ。

 だからこそ、カラダは痛みを出して訴える。 痛感させようとしている。
そう、捉えるという世界観があるということ。

 骨は、目には見えないけれど無いものではない。

 骨は、価値の無い存在などではない。

 産まれて世に出てからそれこそ亡くなるその時まで。
いやむしろ、亡くなってもなお在り続けるほど骨とは存在し続けるもの。

 年々、無くなっていく筋肉だけに執着するのではなく、
そこに在る、内側に在る自分の骨に価値を見出す。

【骨と共に動く】

 そんな気づきと、
そして骨感覚を活用しながらの具体的な身体操作方法をお伝えするのも、
身体調律でのセッションの醍醐味のひとつなのです。

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