身体調律スタジオUでの、身体調律セッションのなかで
よくクライアントさんにお伝えすることのひとつに
≪全然、ご自身の身体を使いこなせていないですね~≫
的なフレーズがある。
整体という世界の中で、20年に渡りいろんな身体に触れてきましたが
もう極論、
みなさんの身体に起きている問題の理由はほぼこれなんじゃないかと、
わたし個人としては、感じています。
【自分の身体を使いこなせていない】
ですが、
実際問題どのようなモノが使いこなせている状態なのかがわからない方に
この言葉だけを伝えてところで、イメージはできないのも無理はない。
そしてそれ以前に、
自分と自分の身体の関係性についての図式を、
明確にイメージできることが大切になるのです。
そんな中、
ちょうど最近、実は乗馬をやりたいというクライアントさんの登場や、
昨日たまたま、家族で牧場にいったからなのか・・・
今、馬ブームきてます。
そしてこれは、ボディーワークの世界でよく出てくる例え話の代表例なのですが、
【自分自身】と【自分の身体】を、いきなり分けて捉えるのは難しいと思うので
まずは、この関係性を、
【ヒト】 と【馬】 で、それぞれイメージしてみてほしい。
【自分という存在】 を 【騎手】というのか【馬の上にまたがっているヒト】
そのものにしてみる。
それでいて、【お馬さん】 が 【身体】 ということ。
そこを明確に、別の存在として認識してみる。
当然、あなたはヒトなので馬ではない。
ヒトと馬は違う存在。
つまりは、自分という存在(意思)と、身体(ここで言う馬ね)は、
まったくもって別の存在として認識するというように、設定を変えてみてほしいのです。
ただ、ここで大切になってくる要素というのが 、
【お馬さんの方にも、当然意思があり、そして感情があるということ】
競馬などの世界でも
『あの馬は大変気性が荒い馬ですからね~』みたいなこともよく聞きますし、
馬が嫌がりそうなことをしたら、当然それは馬も機嫌を悪くして振り落とされたり、
それこそ噛みつかれたりするのも容易に想像できること。
人馬一体 と、昔から言われていますが
その意味にも表現されているように
≪騎手が馬とひとつのからだになったかのように、巧みに乗りこなすこと≫
自分と自分の身体の関係性も、まったくもってこれ。
~ひとつのからだになったかのように、巧みに乗りこなすこと~
【ヒト】 と 【馬】 が別の存在であるのと同様に、
【自分】 と 【自分の身体】は、別の存在であるということ。
そして、馬に意思と感情が在るように、身体にも意思と感情があるということ。
この前提条件を明確に認識しない限り、身体の改善はうまくはいかないものです。
≪自分の身体を、巧みに乗りこなす≫
それはまさに、演奏者が名器と呼ばれる楽器を弾きこなし、見事な演奏を奏でるのと同じ。
だからこその、身体調律なのです。
そして、この新しい場で、新しく『身体調律スタジオU』という名前にしたのを、
身体を楽器でなく馬に例えての図式にしてしまうと、
『身体調教スタジオ』みたいになり、
なんだか、五反田に戻ってしまいかねないことに今気がついたのは、ここだけのヒミツ。
0コメント