先日の土曜日のセッション後に、いつも大変お世話になっております
わたしの仕事の相棒でもある『動く骨格模型』を手掛けてくださっております
ニンジャアナトミーの方が、こちらのスタジオUに来訪してくださいました。
その際に、
スタッフの方がわたしの骨格模型のメンテナンスをしてくださったのですが、
ふと、その最中。ちょうど片腕のパーツを外して作業しているときの骨の姿をみて、
あぁ、この今の状態は、ある意味、
【骨抜きにされている】
状態なんだなと感じてしまう。
もちろんアタマでは、ただメンテナンスのために上腕骨(二の腕の骨)を肩甲骨のジョイント部分から外しているだけなのだが、
この腕を・手を外されてしまっている状態が、なんだか【骨抜きにされる】という風に見えてしまった。
その夜、
改めて【骨抜きにされる】というコトバの意味を調べてみると、以下の文章が出てくる。
骨抜きにされる、とは・・・?
(1)物事の中心となる部分が失われて、空疎なものに成り下がること。肝心な中身がなくなること。
(2)気概が失われて軟弱になること。腑抜けになること。
うーむ、、、。
本当に先人の方の身体感覚表現のコトバは凄まじい。
よくこの表現を思いついたものだと思う。
そして、今の自分も含めて
今を生きる私たちは、ほぼこの【骨抜き状態】になっている気がしてならない。
内側に在る、肝心なものが失われている感覚。
ただ、実際問題
現代に生きている人たちの身体の内側の骨が本当に無くなっているわけではない。
そんなことはあるはずもなく、今もこうして、骨はどのヒトの内側にも存在している。
だがその一方で、この【骨抜きにされる】というコトバの持つ意味の
物事の中心となる部分が失われて、空疎なものに成り下がること。肝心な中身がなくなること。
気概が失われて軟弱になること。腑抜けになること。
という表現は、どこかしっくりきてしまう部分がある。
わたしの中で、こうやって毎日毎日ヒトの骨に触れている経験からすると、
この【骨抜き状態】というコトバの身体感覚としては、
本来、昔から存在し、今もなお在り続けている大切なモノが、
あたかも無くなってしまっているように思わされ錯覚させられ続けている状態
と、表現できる。
そして、逆を言えば 【骨】という存在そのものが先に述べた
【昔から存在し今もなお在り続けており、それでいて自分自身を護る・活用する大切なモノ】
という意味合いそのものの存在な気がしているのだ。
だからこそ、多くの方の骨に触れて、そこに骨が在るという意識を向け感じてもらいたいのだ。
迷いや不安は、『わからない』からこそ沸き起こる感覚。
何が正しい情報で、何が正解かなんて本当にわからないこれからの世の中。
もう、自分の身体の外側の世界に振り回されたり、
また、自分の身体の内側の不確かな内面観察するよりも、
まずは確実に在る【骨】という存在から、自分自身を再認識してみるのも大切だと思いますよ。
脳をコントロールするのは、結局は身体ですし、
その身体という存在は、ある意味 骨そのものなのですから。
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