クライアントさんの声② 認定ロルファー™️井爪利香さん

【身体調律スタジオU】のセッションを実際に受けていただいたクライアントさんからのレポートをご紹介いたします。

◇ボディーワーカー認定ロルファー™️ 
 井爪利香氏 

痛みは大抵の人にとって不快で怖いものだ。

強い痛みは心理的にも大きなストレスになる。


先天的な遺伝子の異常で痛みを感じない赤子もいるが(先天性無痛無汗症)、大抵が健康に育てるのが至難の技となる。

痛みから危険を学習できず、自傷はもちろん火傷や転倒など家庭内で事故にも遭いやすいからだ。

 痛みは危険を遠ざけ安心安全を教えてくれる。だから体のどこかに痛みを感じると、人は反射的に痛みから逃げようとする。


防衛反応としては健全だが、なにごとも度が過ぎると却ってよろしくない。

病院の待合室に入っただけで泣き叫ぶ子どものように、まだ感じてもいない痛みを想像して「また痛くなると嫌だ」といつも身構えていないだろうか。


 わたしはこういう状態に大いに身に覚えがあって、膝蓋骨を脱臼したり股関節唇を損傷したりした時の激痛(の記憶)に毎日うっすら怯えながら生きている。

ロルフィングを受け、学び、施術する中で「過ぎた痛みをいま恐れる必要はない」と理解していても、実際に痛みが生じるとそれまでの覚悟はどこへやら。
憂鬱にもなれば不安にもなる。ぎっくり腰経験者ならきっと共感してくれるに違いない。


 痛みを感じる場所はやたら存在感を放ってくる。
痛みがある限り気になるし、痛くなくなっても気になる。

しかしこれは裏を返すと、痛まない限りそこに意識を向けることがないということでもある。

例えば奥歯など、痛まなかったらその存在を意識することはほぼないだろう。


 この性質を利用したワークを昨日受けてきた。

 身体調律スタジオ Uは、【五反田整体院】というユニークな整体院の院長だった成木海次郎さんが、今年独立開業し高輪に持ったセッションルームだ。

 合氣道がきっかけでボディワークの世界に入られたというだけあって、成木さんが場の空気やモノの空気にも気を配られているのがよくわかる。

オシャレかっこいいのに居心地よい空間で軽いカウンセリングの後に、上だけTシャツに着替えて施術開始。


 成木さんの施術は骨へのワークで、筋肉を揉むマッサージではない。

 成木さん曰く、

「身体の中で空気の圧が高くなってしまっているところの圧を脱く」

という感覚なのだそう。


 「それってどういうことですか?」とお話を伺ってみると

「もちろん僕も身体では空気は肺の中にしかないことはわかっています。僕のいう「空気」は合氣道の師の「氣というのは空気だよ」という教えから来ています」とのこと。

 「疲れとか筋疲労とか負担とかそういうものですか?」としつこく訊いてみる。

 「僕も以前はそういう単語しか知らなかったから、お客さんにはそんなことばで説明していました。
だけどそんな説明をしたところで、言われた人が良い方に変化していった実感がなかったんですよね。それよりも身体のなかの空気の流れと説明する方がしっくりくる」。

 自分の身体の使い方やそもそものボディマップについて無自覚だったり、「つごうのいい身体」を作り上げてしまっていたりするせいで無理のある動作をしてしまう。

その結果、どこかに皺寄せがゆき、皺寄せを担う部分の「内圧」が高くなる。

逃げ場を失った圧がぎっくり腰や突然の痛みとなって現れる。
そこの筋肉を酷使したから痛くなるわけではない、というのが成木さんの考え方だ。

 ふむぅ。これをエネルギーと言ってしまうと多分違うのでしょう。

体の中を流れる「氣」がうまく流れなくなって、ぎゅうぎゅうに圧が高くなっている箇所があり、そこが原因で別なところに痛みとか可動域の制限が出るというのは、東洋医学に親しんだ身にはなんとなくわかりがよい。

ロルフィングでも似たような見立てをすることがある。

 さて、
わたしの施術は右足の甲から始まり、のっけから激痛。

特に固まってしまっている関節へのワークは痛い。
可動域が狭くなっている関節ほど強い痛みを感じる。


 「うちくるぶしがないですね」と言われて我がことながらウケてしまった。

そうなのだ。
わたしはうちくるぶしのでっぱりのない、内側がすぺんとした足首をしている。
(太っているからではない)


 「ですよね!?うちくるぶし、気づいた時にはいなかったんですよ」と、

西洋医学を修めた医師がきいたら眉を顰めそうなことを言ってしまった。

 わたし自身が施術をする立場になって様々な人の足を触って、そこで初めて自分の身体の特徴に気づいたのだった。

人は自分の身体しか体験できないので、なにが「普通」「標準」なのか指摘されなければ気がつかないし、気がついたところで身体は交換不可能だ。

限られた手駒でどう生きたいのか。それを自らの課題としてとりくみ続けるよりない。

 施術はゆっくりかつどんどん進む。
全て痛い。痛みに慣れているわたしでも呻くほど痛い箇所もあるが、成木さんが痛みをどの方向に向かって逃すかをリードしてくれ、それに従ううちにふっと痛みが遠ざかる時が来る。

慣れてくると自分が痛みをうまく逃がせているのかどうかがわかってくる。


 痛みは奥が深い。

一言で痛みというが、「今すぐ逃げないと危険な痛み」(例えば熱いものに触れたときや関節があらぬ方に曲がった時の痛み)と「セーフな痛み」があって、成木さんの施術は明らかに後者なので「いったぁ〜〜〜!!」とはなっても嫌な気分にはならない。

が、痛いとジタバタしたり力んだりしてしまう人には不向きな施術だなとか考えているうちに、施術は右手首に進む。

 右手ね。ハイ。もう酷使しまくりの右手ですからね…と覚悟していたのの倍は痛かった。

 そのうち右手の指が6本あるような感覚に陥る。
2本目の人差し指とも中指ともつかないものがいる。
脳内にある身体地図;ボディマップに混乱があるということか。

気づいてなかったけれど、タイピング、洋裁、編みものなどに日々使いこなしていると思っていた右手ですらこうなのだ。

まして普段意識していない左手はどうなることやら。

 結果からいうと、左手の方が警戒を緩めず頑固でした。


 自分が所有しうまくコントロールできているという一体感、自信、そして万能感をしっかり持っている部位は、痛くても痛みにそこを委ねることができるのに、万能感に乏しい部位は痛みに委ねられない。これもちょっと興味深い。

諸々の理由が思いつくが、おそらく、自発的な刺激(動かそうという脳からの指令も含めて)にすらまともに応答できないのに、外からの刺激を吟味して「この程度なら安全」「これは危険」と細かく判断できないせいなのではないか。

どんな刺激でもとりあえずピャッと引っ込む貝のベロみたいなもので、刺激の解像度が低いせいかもしれない。

 何百人もの身体に触れてきた成木さんはその辺りを酌んでくれて

「こっちは今日はちょっと心開かずですね」と、

深追いせずさらりと流してくれた。


 右足首から始まって最後は左手首で施術は終わった。

マッサージテーブルから立ち上がると、足裏の感覚がしっかり蘇っていて、心身ともに地に足がついている。

どこかが劇的に変化したわけではないものの、身体が動き出すスタート地点に立たせてもらったような、リセットされ身軽な感じだった。


 目に見えるような変化は翌日の夜以降にやってきた。


ひどい怪我をして以来、いつも青っぽく静脈を浮かしてぶくりとむくんでいる私の右足の甲が、お風呂上がりにふと見るとむくみがほぼひいている。

こんな状態は20数年ぶりで、「おおお〜」と思わず何度も撫でてしまった。

 成木さんにこんな変化がありましたとお伝えしたところ、

「怪我とか事故とかで大きな衝撃を受けると、身体の中で時が止まっちゃっているというか、もう治っているのにそこだけ昔のドラマの再放送を繰り返しているような状態になるんですよね。
時間軸がおかしくなっちゃっている。それを正しく戻してあげるのには骨からのアプローチがいちばん有効だと僕はは思います」

と話してくれた。


 この「昔のドラマの再放送を繰り返している」という表現は言い得て妙で、

わたしもこれまでに施術してきたクライアントさんのうち数名の顔が(というか正確には身体が)頭をよぎった。

意図して再放送しているわけではないから本人も困っているんだよねということも知っている。

自分ではもはやリセット方法がわからないのだから。


 怪我や手術、強襲的な治療によって身体に刻まれた痛みと恐怖の記憶が身体の中に居座り続けているのをなんとかしたい人は、成木さんを頼ってみるのをお勧めしたい。

さっさと結果を出して欲しい、誰かに治して欲しいという依存的な気持ちが強い人にはお勧めしない。

いま・ここにある身体を体験してみたい人にだけ、身体調律スタジオ Uの扉をたたいて欲しい。 

※引用元 井爪利香さんのロルフィングサロン『Rolfing A-Hum』HPより

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