身体調律という世界観でも、
【自分の身体に意識を向ける】
ということは、とても大切な位置づけとなります。
そして、逆算して言いますと
自分自身の身体の調律がズレていることが問題なのではなくて
問題なのは、
自分自身の身体の調律がズレていることに気がつかないということ
それが、問題となります。
身体のパーツそのもののズレや歪みをどうにかするのではなくて、
身体への意識のズレや歪みを調律する。
それこそが、身体調律で行うことのひとつ。
じゃあ、
基本的に
【自分の身体に意識を向ける】
と、いうことをしていれば平気かと言えば
たしかにそうなのですが、
基本的に、
現代社会において、すくなくともこんな文章をPCやスマホで読んでいただいている環境で生活されている方のほとんどが、
その意識が、常に盗まれていると思ってください。
それはシンプルに言えば、
【自分の身体以外のものに意識が向いている】
ということなのですが、
それを、意識的に自分の外側に向けているのであればコントロールは効きますが
ほとんどが、
その意識を盗まれている図式なのです。
この現代社会で生きてく上では、
自分の身体への盗まれないようにすることに執着し過ぎる前に、
前提条件として
基本、盗まれているものだと。
そういうものだと認識を改めることから始めてみることをお勧めします。
『あぁ、私 結構 意識盗まれていたな~』
と、そう認識することが
【身体への意識】という点において、
自分の認識と、実際の状態のズレを一致させる具体的な方法なのです。
ズレているのは問題ではないのです。
どのぐらいズレているのか?
どのぐらい意識を盗まれていたのか?
それを限りなく正確に認識することが、
身体調律においては、とても大切になるのです。
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