整体から身体調律へ。
その挑戦の理由のひとつには、
私の中にある整体の世界にいた時に感じていた違和感。
それは、
『他人が自分の身体を変える』
という概念だ。
もちろん、人の力を
他の人が、自分に対して何かしてくれることの影響力が無いとは言わない。
むしろ、その影響力も人一倍、肌で感じる経験も沢山してきた。
矯正というコトバや、治療というコトバの中にある
(これは本質的な矯正や治療というワードという意味ではなく)
どこかこう、
『他人が自分の身体を変える』
という図式が納得がいかなかった。
自分の身体の在り様は、やっぱり自分が決めている。
ただ、
ちょっとした勘違いや、
ちょっとした認識の違いから、
その使い方を見誤ってしまうことは多分にある。
その図式が、
まるで、調律の合っていない楽器で
懸命に、そして無理やりに音を奏でようとしている様に見えてならないのだ。
だからこその、調律。
だからこその身体調律。
例えば、肩にまつわる身体のハナシでもそうなのだが
やれ肩が痛いだの、
やれ腕が上がらないだのと、
四十だか五十だか知らんが
皆さん、あれこれ言うわけですが・・・
すんごい極論を言ってしまえば
肩関節、という存在も
言ってしまえば
腕
という集合体の中の途中にある関節部分であるわけで。
じゃあ、
腕
ってやつが、
どこからどこまでが腕か?
った話になるのです。
物質には必ず、
ここ から ここ まで
という少なくとも最低2点が存在します。
そうすると、
どこからどこまでが腕なのか?
片一方は、まあ手の指先ですよね。
人差し指なのか、中指なのか(実はどの指に意識を置くかでも変わるのですが今回は割愛)
それは良しとして、まあ指先としましょう。
では、もう片一方はどこなのか?
結論から言うと、
肩に痛みや動きの問題を抱えている方は、
かなりの割合で腕の終わりの点を
(始まりの点を)
肩関節
と認識しているのです。
ですが、
それは身体という最高傑作のスペックを持つ製品としたら
大きな認識のミスであり、間違いなのです。
あれこれ書きすぎると、長くなりすぎるので
まずは結論から。
腕を語る上で、最も重要なのは
鎖骨
です。
この鎖骨こそが、腕の起点であり
ある意味で腕のコントローラー。
この鎖骨の骨感覚を、
その位置感覚のデータの消えてしまった脳に再インストールする。
それも、
身体調律で行う、大事なセッションのひとつなのです。
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