《ずっと足が無い感覚》身体調律日誌

今日の身体調律日誌。

本日 スタジオにお越しになったカラダさまは、

特別、身体のどこかが痛いということはない方。

あるのは、

ここ数年、

特にコロナ禍で外出や運動する機会が少しずつ減ってきてから
ずっと足の感覚が無い、というもの。

歩行困難とか膝が痛いとか、そういうのではない。

とにかく、地に足がついている感覚がないのだそうだ。

痛みも特別無いし、歩けないわけではないからこそ、

今の自分が、どういう場所に何を求めていいのかわからずにいたところ

泉岳寺の地下に、妖しい何かができたということでいらしたそうな。
(あ、それは冗談でご縁にご縁の繋がりの方でした)

とにかく、地に足を着けている感覚が感じられないものだから
運動や体操をする気にもなれず、

このままではいけないと、頭では理解してはいたのだが

どうにも何かをし始める気持ちになれず、ここまできてしまったそうなのだ。


セッションを始めて、まず最初に気がついたこと、

それは、

【足の骨が無い】 というもの。

キレイに、ご自身の足の骨の感覚が消えていた。

なるほど、

この状態であれば身体は、運動をさせようとはしないわけだ。

例えて言うならば、

それは、車で言えばフロントガラスが汚れすぎてほとんど前が見えないような状態の車で
ドライブに出かけるようなもの。

当然、それは危険であるからドライブには行かせない、という話になるのが筋。

それは脳も同じ。

足の骨感覚が、足の位置情報が消えてしまっていた状態で運動することは
危険と判断すれば、脳は運動をさせようとしない。

運動をしようというモードにはしない。

それは気持ちの問題やメンタルの問題ではない。

むしろ危険を回避するために、身体自身が我が身を護るための適切な反応。

そして大切な気づきは、

身体は、いつ・どんな状態においても

あくまで自分自身を護ろうと、常にし続けているということ。

足は、行動の象徴でもあります。

足が無ければ動けない。

それは、足の骨感覚が無くなっていても同じこと。

だからこその、身体調律。

この身体が、今後どんな能力を発揮し始めてくるのか

今から私自身も楽しみです。

そして、

このカラダさまがスタジオを出る、この階段を上る足音は

しっかりとした音を奏でておりました。






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